中学2年生が大阪教会訪問及び浪花教会での礼拝を行いました。
初めての現地集合でしたがみんな無事に集合できました。
1874年「梅本町公会」として設立された大阪教会は、建築家W.M.ヴォーリズによって設計された、明治の近代建築が好きな人たちにとっては垂涎の的のような建物の一つです。
大阪教会の本庄先生が教会や建物についても説明をしてくださいました。
建物自体も1874年、150年前の建物なのですが生徒たちが座っている椅子も当時のもの。
椅子には曲がり加工が施されており、どの椅子に腰掛けても必ず中央の祭壇に体が向くようになっています。
また、生徒が着席した長椅子の後方上部には教会建築で見られる薔薇窓が。大阪教会の薔薇窓は毎週行われる日曜日の礼拝の時間に合わせて教会内に光が差し込むよう設計されており、礼拝堂が輝くような光に包まれるそうです。
大阪教会をあとにし、肥後橋にある梅花学園発祥地の創立者 澤山保羅先生の碑をめざし歩きます。
みんな熱心にレリーフを見ていました。
明治の近代建築を見物しながら、オフィス街を抜けて浪花教会へと向かいます。
日本初の牧師であり、浪花公会(浪花教会)の初代牧師の澤山先生は教会設立の翌年1878年、大阪で初めての女学校を設立しました。梅本町公会と浪花公会の信徒の支えによってできた学校は「梅花女学校」と名付けられました。
本格的なパイプオルガンによる前奏から礼拝が始まります。
「君にこそ輝く」と題した奨励では梅花の卒業生でもある川江先生からクリスマスのメッセージを含めたお話を聞かせていただくことができました。
クリスマスの本当の意味を考えることができる機会があるのはキリスト教主義の学校ならではと言えます。
その後、祝祷・後奏が続き、後奏のあとに奏でられたオルガンはまるで壮大な物語のようで、ちょっと早めの生徒たちへのクリスマスプレゼントのように感じられました。
礼拝のあと、祭壇前に飾られた澤山先生が書かれた「祈りのカード」を見せていただきました。
病床の中、人生の儚さ、病の苦しみの中で涙されながらも書かれたこのカードには、実は澤山先生の涙のあとが残されています。
また、浪花教会のリードオルガンは梅花創立の2年後の1880年生まれ!
実際の奏楽は2004年に買い替えられた国内産のパイプオルガンで演奏されているそうです。
チャレンジデイズ1日目は日ごろと違う場所で学びある時間を過ごすことができました。
初めての現地集合でしたがみんな無事に集合できました。
1874年「梅本町公会」として設立された大阪教会は、建築家W.M.ヴォーリズによって設計された、明治の近代建築が好きな人たちにとっては垂涎の的のような建物の一つです。
大阪教会の本庄先生が教会や建物についても説明をしてくださいました。
建物自体も1874年、150年前の建物なのですが生徒たちが座っている椅子も当時のもの。
椅子には曲がり加工が施されており、どの椅子に腰掛けても必ず中央の祭壇に体が向くようになっています。
また、生徒が着席した長椅子の後方上部には教会建築で見られる薔薇窓が。大阪教会の薔薇窓は毎週行われる日曜日の礼拝の時間に合わせて教会内に光が差し込むよう設計されており、礼拝堂が輝くような光に包まれるそうです。
大阪教会をあとにし、肥後橋にある梅花学園発祥地の創立者 澤山保羅先生の碑をめざし歩きます。
みんな熱心にレリーフを見ていました。
明治の近代建築を見物しながら、オフィス街を抜けて浪花教会へと向かいます。
日本初の牧師であり、浪花公会(浪花教会)の初代牧師の澤山先生は教会設立の翌年1878年、大阪で初めての女学校を設立しました。梅本町公会と浪花公会の信徒の支えによってできた学校は「梅花女学校」と名付けられました。
本格的なパイプオルガンによる前奏から礼拝が始まります。
「君にこそ輝く」と題した奨励では梅花の卒業生でもある川江先生からクリスマスのメッセージを含めたお話を聞かせていただくことができました。
クリスマスの本当の意味を考えることができる機会があるのはキリスト教主義の学校ならではと言えます。
その後、祝祷・後奏が続き、後奏のあとに奏でられたオルガンはまるで壮大な物語のようで、ちょっと早めの生徒たちへのクリスマスプレゼントのように感じられました。
礼拝のあと、祭壇前に飾られた澤山先生が書かれた「祈りのカード」を見せていただきました。
病床の中、人生の儚さ、病の苦しみの中で涙されながらも書かれたこのカードには、実は澤山先生の涙のあとが残されています。
また、浪花教会のリードオルガンは梅花創立の2年後の1880年生まれ!
実際の奏楽は2004年に買い替えられた国内産のパイプオルガンで演奏されているそうです。
チャレンジデイズ1日目は日ごろと違う場所で学びある時間を過ごすことができました。